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話す手段はひとつじゃない。 [子ども]

今日少しうれしいことがありました。

反抗期と見えたわが子との様々なコミュニケーション方法が見つかったからです。

というか、私は亡くなった祖母の生まれ変わりがわが子だと考えているため、少しずつ実証されているような感覚を味わいました。

言葉を離せないわが子だと思っていました。
話が通じないわが子だと思っていました。
いつの間にかもう反抗期はとっくに終わっていた。
なのにわが子の精神を呼び覚まそうと悪化していたのは親である私の言動だったのかもしれません。
言葉にならない(ノンバーバル)コミュニケーションと言いますか、シグナルが通じた瞬間は嬉しかったです。
それと同時になんだか少し淋しいです。
障害は生涯学習の現時点で私が考える最大のコミュニケーション方法です。
翻訳技術がすごすぎてC言語とか意味が分からないのですが、目の前のわが子につらく当たるのではなく、熱心に話を聞いていたら、その要素に障害と位置付けられている人たちのコミュニケーション方法が見えてきました。

点字絵本とか借りてみたのですが、分かりやすいようで、よくわかりません。
たぶんセキュリティーというか壁が完全無敵のように見えますが、たった1人の運命の相手との結びつきをまだ探している段階なのかもしれませんね。

与えられているコミュニケーション方法が違っているだけで、障害と永遠に位置付けてしまってもいいのでしょうか?
区分なのですが、言葉、差別は言葉から始まります。
恋愛における失恋や復讐から始まるいじめや勘違い、フェイクニュースでどれだけの恨みを買うか分かっていますか?
とフェイク抜きで本質的にもう話は通じているのでわが子は、たぶんもうそのことは分かっているハズです。

たぶんそれが子はかすがいという由縁でしょう。

ただし、親子三代でつなぐ縁もあるといいますから、私はひとまずはわが子のこの反抗期の終焉をソワソワしながら見守っていこうと思います。

あらゆるシグナルを見逃さない。一見ルールを破ったようにみえてもコミュニケーション方法が変わっただけです。それが反抗期の親の心得です。
第二次反抗期に備えて、忘れないようにブログに記録します。
ありがとうございました。


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